日蓮聖人が、龍の口法難の後に佐渡に流され着岸したのが松ヶ崎。
その松ヶ崎にある松前神社(まつさき じんじゃ)には、三十六歌仙の絵馬が奉納されています。
三十六歌仙とは、平安時代の歌人藤原公任が選定した『三十六人撰』に選ばれた和歌の名手のことで、三十六歌仙絵馬とはそれら歌人の絵と和歌を配した額を神社仏閣に奉納したものです。
佐渡にも、いくつか残されているようです。
三十六歌仙には
在原業平(ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは)
柿本人麻呂(あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む)
小野小町(花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに)
猿丸大夫(奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞くときぞ秋はかなしき)
など、百人一首に選ばれた歌人も多くみられます。
この度、佐渡博物館では松前神社 三十六歌仙 絵馬展を開催。
華やかな十二単に心が躍ります。
伊勢
あひ似 て
も能おもふ
ころ能 袖
屋 る
月さへ
ぬるる
可ほ奈る
でしょうか。
絵とも重なり少し読み取りにくいことと、私の勘違いもあるので間違っているかもしれません。
古今集に収録されている伊勢の歌
『あひにあひて 物思ふころのわが袖に
やどる月さへぬるる顔なる』 かと思われます。
現代語にすると、
何度も愛し合ったのに、つれなくなったあなたを想い
私の袖が(涙に)ぬれている。
夜空に宿る月さえも(わたしのように涙に)濡れた顔を
しているようです。
というようなところでしょうか。
激しい想いを、月や草木に例えて詠み上げる伊勢の歌が好きです。
百人一首では、
『難波潟 短き芦の ふしの間も あはでこの世を すぐしてよとや』
と歌っています。
― 難波潟の入江に生い茂る芦のように短い節と節の間の時間でさえも、
あなたに逢いたいと思っているのに、あなたは逢わずに過ごせとおっしゃる
のでしょうか。 —
芦茂る加茂湖畔、初冬の風景に難波潟を重ねてしまいました。
何時の世も、叶わぬ恋は切ないものです。
近いうちに、絵馬展に行ってみたいと思います。