以前、さわりだけご紹介した佐渡國小木民俗博物館。 ゆっくりとひとつひとつ回ってみたいと思います。
お時間のある方、懐かしい佐渡の時旅にご一緒しませんか。
駐車場に車を停めると、「千石船展示館」という看板を掲げた大きな建物が目に入ります。

ガラスの大きな扉が空いていることもあり、大きな北前船(白山丸)が見えることもあります。
見学するには、まず博物館受付にて入館料をお支払いください。佐渡準市民は無料です。

小木民俗博物館(千石船「白山丸」展示館)観覧順路
順路のとおりに進みます。
以前来たときは、千石船「白山丸」展示館のみしかいきませんでしたので、今回は、新館も含め全てを回りたいと思います。

1858年(安政5年)に作られた千石船「幸栄丸」を実物大で復元した『白山丸』。
宿根木にある白山神社にちなんで、その名前がつけられたのだそう。

北前船(案内看板より)
江戸時代中期以降西回り航路で日本海側からの回船(北前型弁財船)が海産物や北国米を積んで瀬戸内や大阪まで回航するようになると、西日本の各湊から塩・繰綿・陶磁器・日用品などを積んで帰った。蝦夷地から大阪まで、白山丸のような回船が日本海を回航していた。佐渡の船主がこの回船を新造するようになったのは明和期(1764~72)からである。その船を描いた絵馬が畑野町小倉、御梅堂に寄進されている。
積石400石くらいの船で、展示している船より小型である。宿根木には安永3年(1774)、高津勘四郎家の白山丸の「新造諸物入覚帳」が残されている。白山丸建造の総費用が小判167両余りであった。建造には、佐渡のおもな船大工が参加しており、御梅堂の絵馬の回船(船主松ヶ崎商人)も同様であっただろう。勘四郎家の回船は翌安永4年には酒田(山形県)から御蔵米923俵を積んで新潟に蔵入れをした。次に酒田から米・小豆を御手洗(広島県)へ運び、塩・繰綿・古木綿・砂糖・紙などを積んで帰った。翌5年もほぼ同じ取引であったが、このときは「石橋三枚、ただし長一丈二寸(3m6㎝)、幅一尺五寸(45㎝)、厚八寸(24㎝)」の石材を持ち帰り、現在、宿根木の称光寺の念仏橋としてのこっている。石橋(念仏橋)の側面に、「安永五申 高津」とある。鳥居では、宿根木の白山神社は3年前、琴浦の神社は享和2年(1802)、強清水は文化元年(1804)、深浦の鳥居は無記入だが同年代のものであろう。いずれも地元の船主が寄進したものである。
階段を上って、白山丸の中に入ってみましょう。

所々に案内表示やパネルがあり、じっくり読んでいるとあっという間に時間がたってしまいます。が、興味のある方には大変面白い場所ですので、どうか時間をとってゆっくりご覧ください。
~近世海運の様子~
宿根木は中世の頃より廻船業を営む者が移住し、宿根木浦は佐渡の富の三分の一を集めたと言われるほど栄えた。やがて小木港が江戸幕府によって整備され、商業の中心が小木港へ移行する。このころから宿根木には
自前の船を持つ者が多くなりお互いに助け合いながら全国各地へ乗り出して商いを続けた。村には船大工をはじめ造船技術者が定住し、一村が千石船産業の基地として整備され繁栄した。江戸時代中頃からの海運は弁財船という型の船が主流となり、沿岸航海が発達したため日本各地の物産の往来が盛んになった。

非日常感・・・千石船に乗り込むと、なぜこんなにワクワクするのでしょう。
船頭部屋
船箪笥

船箪笥。
現在、佐渡にいる船箪笥の職人さんはお一方のみ。 その技を後世に受け継いでほしいと願います。

佐渡は全体に信心深いと感じますが、小木はとくにその想いが強いと感じていました。航海という命がけのことに自分や家族、大切な人が向き合うからなのでしょうか。
家にも、道端にも、そして船の中にも、神様がいらっしゃいました。
船霊という船の神様を祀っている神棚です。後半に書きましたが、レーダーなど安全航海への絶対的安心な機器のないこの当時、航海の安全は経験による勘が頼り、心のよりどころは神さまへの深い深い信仰だったそうです。

今でも船には女性の名前をつけることが多いですが、船霊が女性とされることが多いため、おしろいや紅などを供えるところもあったようです。
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御影石(みかげいし)※案内書より
千石船は積み荷が軽いと船が不安定になる。それは船と同じほど長い帆柱と155畳もある帆が船の上に立つからであり、いわゆる頭でっかちの形になるので、船の底には重たいものを積み込んで安定を保つようにする。
この御影石は、瀬戸内海地方で産出されたものを尾道港で積み込み、佐渡へ持ち帰ったものである。
宿根木の港には御影石で造られた「船つなぎ石」がたち、お宮には石鳥居と石灯籠、また称光寺川には2本の石橋が架けられている。
建築の基礎や、川の護岸にも使われている良質で美しい石材である。
御影石とともに石の加工技術者(石工)も同行してきた。佐渡の石工の技術はこのような背景があって発達したのであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宿根木を歩いていると、美しい石材に出会うことが多いですが、こうした北前船の歴史背景があったのですね。

船から下に降りてみました。
記念撮影用貸出はんてん(1着100円)

十上大珍宝

原寸の断面図

船乗りたちの信仰(案内書きより)
現代のように、天気予報やレーダーなどの航海安全のための機器がない時代には、長年の経験による勘がたよりであった。そして、神や仏に祈ることが何よりの心のよりどころであった。船の模型、船絵馬(ふなえま)、奉納額のほかお祭りの山車や十一面観音など多くの奉納品がある。
船絵馬
海難救助の様子を描いた珍しい絵馬。願主・越中伏木桶屋持船「天神丸」船中加州本吉「利天丸」船頭吉蔵が能登福浦金毘羅神社に奉納。

船大工棟梁が板図を基に1/10の大きさで作ったという模型。

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小木最大の輸出工芸品 船箪笥(案内書きより)
この種の箪笥は、千石船で使われることが目的であったためその産地も日本海沿岸に限られていた。特に盛んだったのは、福井県・三国、佐渡・小木、山形県・酒田が三大産地でありその中でも「小木」は衣装箪笥とともに
全国に名高い産地だった。明治18年に政府が大型和船(千石船)の建造を禁止したため次第に需要がなくなり製作は止まった。昭和はじめころの話であるが、小木港で船箪笥を扱っていた箪笥屋の蔵には200もの無傷の船箪笥があったそうである。
江戸末期の小木湊には8軒の箱屋(箪笥をつくる職人)がいて、金具をつくる鍛冶屋も数件あった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小木の町や真野を歩いていると、船箪笥をみることができます。

ひと言で船箪笥といっても、半がい・帳箱・懸硯(かけすずり)など3つの種類があるようです。
回船文化を象徴する千石船によってもたらされた各地の器。
古窯の時代
越前(葉茶壺)(茶臼)
信楽
備前
瀬戸
常滑
丹波

売店コーナー 小木ならではのものもあり、お土産にも。
おめでたい前垂れ紙(100円)
お正月の風物詩だそうですが、障子にはったり、額にいれて飾っても楽しめそうです。

船大工 山本徹夫さん手造り 開運ミニ下駄600円
飾れば幸せが歩いてくる越後の縁起物

絵葉書や記念切手、手ぬぐいや裂き織など和小物のほか、貝殻を使ったフォトフレームや地域のお母さんたちの手作りの商品など様々なものが並んでいます。 小木で採れたニンニクもありました。
次回は、布・小物を展示した『衣』のお部屋にご案内いたします。
【佐渡國小木民俗博物館】
所在地:新潟県佐渡市宿根木270番地2
電話:0259-86-2604
入館料:大人500円(団体400円)、子ども200円(団体160円)
※佐渡市準市民は、準市民登録票提示で無料です。
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)・12月~2月の月曜日
開館時間:8時30分~17時
お時間のある方、懐かしい佐渡の時旅にご一緒しませんか。
駐車場に車を停めると、「千石船展示館」という看板を掲げた大きな建物が目に入ります。

ガラスの大きな扉が空いていることもあり、大きな北前船(白山丸)が見えることもあります。
見学するには、まず博物館受付にて入館料をお支払いください。佐渡準市民は無料です。

小木民俗博物館(千石船「白山丸」展示館)観覧順路
順路のとおりに進みます。
以前来たときは、千石船「白山丸」展示館のみしかいきませんでしたので、今回は、新館も含め全てを回りたいと思います。

1858年(安政5年)に作られた千石船「幸栄丸」を実物大で復元した『白山丸』。
宿根木にある白山神社にちなんで、その名前がつけられたのだそう。

北前船(案内看板より)
江戸時代中期以降西回り航路で日本海側からの回船(北前型弁財船)が海産物や北国米を積んで瀬戸内や大阪まで回航するようになると、西日本の各湊から塩・繰綿・陶磁器・日用品などを積んで帰った。蝦夷地から大阪まで、白山丸のような回船が日本海を回航していた。佐渡の船主がこの回船を新造するようになったのは明和期(1764~72)からである。その船を描いた絵馬が畑野町小倉、御梅堂に寄進されている。
積石400石くらいの船で、展示している船より小型である。宿根木には安永3年(1774)、高津勘四郎家の白山丸の「新造諸物入覚帳」が残されている。白山丸建造の総費用が小判167両余りであった。建造には、佐渡のおもな船大工が参加しており、御梅堂の絵馬の回船(船主松ヶ崎商人)も同様であっただろう。勘四郎家の回船は翌安永4年には酒田(山形県)から御蔵米923俵を積んで新潟に蔵入れをした。次に酒田から米・小豆を御手洗(広島県)へ運び、塩・繰綿・古木綿・砂糖・紙などを積んで帰った。翌5年もほぼ同じ取引であったが、このときは「石橋三枚、ただし長一丈二寸(3m6㎝)、幅一尺五寸(45㎝)、厚八寸(24㎝)」の石材を持ち帰り、現在、宿根木の称光寺の念仏橋としてのこっている。石橋(念仏橋)の側面に、「安永五申 高津」とある。鳥居では、宿根木の白山神社は3年前、琴浦の神社は享和2年(1802)、強清水は文化元年(1804)、深浦の鳥居は無記入だが同年代のものであろう。いずれも地元の船主が寄進したものである。
階段を上って、白山丸の中に入ってみましょう。

所々に案内表示やパネルがあり、じっくり読んでいるとあっという間に時間がたってしまいます。が、興味のある方には大変面白い場所ですので、どうか時間をとってゆっくりご覧ください。
~近世海運の様子~
宿根木は中世の頃より廻船業を営む者が移住し、宿根木浦は佐渡の富の三分の一を集めたと言われるほど栄えた。やがて小木港が江戸幕府によって整備され、商業の中心が小木港へ移行する。このころから宿根木には
自前の船を持つ者が多くなりお互いに助け合いながら全国各地へ乗り出して商いを続けた。村には船大工をはじめ造船技術者が定住し、一村が千石船産業の基地として整備され繁栄した。江戸時代中頃からの海運は弁財船という型の船が主流となり、沿岸航海が発達したため日本各地の物産の往来が盛んになった。

非日常感・・・千石船に乗り込むと、なぜこんなにワクワクするのでしょう。
船頭部屋
船箪笥

船箪笥。
現在、佐渡にいる船箪笥の職人さんはお一方のみ。 その技を後世に受け継いでほしいと願います。

佐渡は全体に信心深いと感じますが、小木はとくにその想いが強いと感じていました。航海という命がけのことに自分や家族、大切な人が向き合うからなのでしょうか。
家にも、道端にも、そして船の中にも、神様がいらっしゃいました。
船霊という船の神様を祀っている神棚です。後半に書きましたが、レーダーなど安全航海への絶対的安心な機器のないこの当時、航海の安全は経験による勘が頼り、心のよりどころは神さまへの深い深い信仰だったそうです。

今でも船には女性の名前をつけることが多いですが、船霊が女性とされることが多いため、おしろいや紅などを供えるところもあったようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御影石(みかげいし)※案内書より
千石船は積み荷が軽いと船が不安定になる。それは船と同じほど長い帆柱と155畳もある帆が船の上に立つからであり、いわゆる頭でっかちの形になるので、船の底には重たいものを積み込んで安定を保つようにする。
この御影石は、瀬戸内海地方で産出されたものを尾道港で積み込み、佐渡へ持ち帰ったものである。
宿根木の港には御影石で造られた「船つなぎ石」がたち、お宮には石鳥居と石灯籠、また称光寺川には2本の石橋が架けられている。
建築の基礎や、川の護岸にも使われている良質で美しい石材である。
御影石とともに石の加工技術者(石工)も同行してきた。佐渡の石工の技術はこのような背景があって発達したのであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宿根木を歩いていると、美しい石材に出会うことが多いですが、こうした北前船の歴史背景があったのですね。

船から下に降りてみました。
記念撮影用貸出はんてん(1着100円)

十上大珍宝

原寸の断面図

船乗りたちの信仰(案内書きより)
現代のように、天気予報やレーダーなどの航海安全のための機器がない時代には、長年の経験による勘がたよりであった。そして、神や仏に祈ることが何よりの心のよりどころであった。船の模型、船絵馬(ふなえま)、奉納額のほかお祭りの山車や十一面観音など多くの奉納品がある。
船絵馬
海難救助の様子を描いた珍しい絵馬。願主・越中伏木桶屋持船「天神丸」船中加州本吉「利天丸」船頭吉蔵が能登福浦金毘羅神社に奉納。

船大工棟梁が板図を基に1/10の大きさで作ったという模型。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小木最大の輸出工芸品 船箪笥(案内書きより)
この種の箪笥は、千石船で使われることが目的であったためその産地も日本海沿岸に限られていた。特に盛んだったのは、福井県・三国、佐渡・小木、山形県・酒田が三大産地でありその中でも「小木」は衣装箪笥とともに
全国に名高い産地だった。明治18年に政府が大型和船(千石船)の建造を禁止したため次第に需要がなくなり製作は止まった。昭和はじめころの話であるが、小木港で船箪笥を扱っていた箪笥屋の蔵には200もの無傷の船箪笥があったそうである。
江戸末期の小木湊には8軒の箱屋(箪笥をつくる職人)がいて、金具をつくる鍛冶屋も数件あった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小木の町や真野を歩いていると、船箪笥をみることができます。

ひと言で船箪笥といっても、半がい・帳箱・懸硯(かけすずり)など3つの種類があるようです。
回船文化を象徴する千石船によってもたらされた各地の器。
古窯の時代
越前(葉茶壺)(茶臼)
信楽
備前
瀬戸
常滑
丹波

売店コーナー 小木ならではのものもあり、お土産にも。
おめでたい前垂れ紙(100円)
お正月の風物詩だそうですが、障子にはったり、額にいれて飾っても楽しめそうです。

船大工 山本徹夫さん手造り 開運ミニ下駄600円
飾れば幸せが歩いてくる越後の縁起物

絵葉書や記念切手、手ぬぐいや裂き織など和小物のほか、貝殻を使ったフォトフレームや地域のお母さんたちの手作りの商品など様々なものが並んでいます。 小木で採れたニンニクもありました。
次回は、布・小物を展示した『衣』のお部屋にご案内いたします。
【佐渡國小木民俗博物館】
所在地:新潟県佐渡市宿根木270番地2
電話:0259-86-2604
入館料:大人500円(団体400円)、子ども200円(団体160円)
※佐渡市準市民は、準市民登録票提示で無料です。
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)・12月~2月の月曜日
開館時間:8時30分~17時
。:*:★。:*:★━━━━━━ 各種問い合わせ先 ━━━━━━★:*:。★:*:。
【佐渡について】
■佐渡観光協会(両津港ターミナル駅内) TEL 0259-27-5000
■佐渡汽船(総合案内・新潟) TEL 025-245-1234
■新潟交通佐渡 TEL 0259-57-2121
(佐渡での路線バス・定期観光バス・観光タクシー)
【佐渡に行くまで】
■JR東日本 JR東日本お問合せセンター TEL 050-2016-1600
■新潟交通 問い合わせ先
・高速バス予約センター TEL 025-241-9000
・バスセンター案内所 TEL 025-246-6333
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